昔の方が良かった

なんて、クソほどにも思っちゃいないが、俺は懐古主義者である。
銭湯大好き下町好きのレトロ好き。
駄菓子屋の80¥焼きそばはご馳走だったし、300\あれば1日遊べた。
 そんな俺が「三丁目の夕日」を見るのは当たり前の事だった。
戦後間もない昭和30年代。大人も子供も金銭的に余裕は無く、決して裕福とは言えない時代。しかし、そこには人々の心あふれる心の交流があった。

等という奇麗事は、開始20分で打ち砕かれた。
女に謝る事を知らず、自分が間違っていても最後まで頭を下げる事を知らない頑固親父。
ガキを騙すだけでなく、子供の考えた話を盗作し、バツが悪くなれば金で解決しようとする汚い大人。
後先を考えず、大人の意見を鵜呑みにし、短絡的な考えで突拍子も無い事を行い、大人を心配させる子供。
大人も子供も愚かで幼い時代だったのだ。
ソレが故に、皆生きる事に一生懸命、助け合わなきゃ生きていくのも大変で、今ほど生きる事に楽ではないのだ。
死ぬ気にならなきゃ生きられない。
その辛さから少しでも逃れる為に、身を寄せ合い、助け合い生きて行く姿が心の交流と映ったんだと思う。
心の交流が減るという事は、自立出来た事と繋がっているのだろう。
自立出来たと言うことは、生活の基盤を自分で築ける様になったという事。
誰にも頼らず自分の力で生きていけるようになったという事。
過去と現代の違いは正にソコ、近所という名の家族から一家と言う自立を行っていったのが今現代、明らかに個人個人の生活レベルは上がっているが、近所と言う兄弟が居なくなってしまったが故に、近所付き合いの希薄さ、人の繋がりの薄さが目立ったいるのだろう。
 何かを手にいれ、何かを失う。この場合は裕福さを手にいれ、近所という仲間を失った。
何時の時代でもどの世界でも等価交換の原則は存在するのだと思う。