ゴリラ見る

まぁ、言わずともかなキングコングを見てきたわけだ。
本当はYaoから誘われてたコアラ課長を見たいのも山々だったのだが、見てしまうと確実に満喫で寝泊りと言う現実と、当日雷雨と言う天気に恵まれたお陰で残念ながら見送り扱い。
いずれ見たい作品である。
話を戻し、デカゴリラ。レイトショーで見るためにスケジュール確認した所、上映時間21:00〜0:30って、3:30モノ!?
考えてみりゃ、監督はピータージャクソン。某指輪のお陰で世界的に有名になった監督。
どうやらこの監督は長丁場名作品が大変お好きなようだ。
って言うか、短くまとめられないだけなのか?
そんな事を思いつつ、見ていると案の定最初の前半のやたらと退屈な事この上なし
先日見たアギトとは正反対。
こりゃ、レイトショーとは言え損したのかなと思いながら見ていると、何時の間にやら引き込まれている自分がいる。コレもアギトとは正反対3:30じっくり見せてもらえた。
是非見習って欲しいものだ。
正確にはコングと恐竜が戦いを始める辺りから段々と盛り上がる。
女一人、餌一体を死に物狂いで奪い合うゴリラと爬虫類の大ハッスル
 その裏でどんどんくたばる主人公以外の人間達、女の頑丈さとそれ以外の人間のタフネス差にエラい差があるなと思ったり、知らん間に仲間が増えてるような感じして、そいつらも訳の分からぬ間にやられていく。
一体あのボロ舟に何人乗船していたのか?どのように捕獲したゴリラを運んだ等、ツッコミどころはゴロゴロ出て来るが、ソレを補って余りある程のゴリラの魅力。
実際俺はこの映画の事等ゴリラが女をつかんで摩天楼に登ったぐらいしか知らなかったのだが、ソレは大変な誤解だったようだ。
単純すぎるが一途な女へのゴリラの愛と、体が大きすぎる・力が強いが故にソレを受け入れられない狭い社会。
コレも一種のヒーロー物なのだと思う。
そしてソレを現実的かつ残酷に描けるのは実にハリウッド的。
実際のヒーローのいない日本にはコレを描くことは出来ないだろう。
てっきり最後は奴とも和解して帰って行くという平和的な終わり方でもすると思ったが、現実はそんなに甘くは無いのだ。
決してご都合主義・楽観的な終わり方ではなく、あのラストは現実に起こったとしても起こるであろう結末だろうし、ソレを覆せる人間などいないのだろう。
結局自由の国アメリカなどと言っても、住むべき人間は同じなのだ。
ソコには全てにおいて自由等無く、好戦的かつ野心的、利益優先、自己主義な人間が多いのだ。そして、あのプロデューサーには天の裁きを与えるべきだと思う
「他に方法は無かったんですか?」
「あったのかも知れん、ただソレを模索してる時間は無かったな」
俺の大好きな、とある小説の一言だ。
あの結末は正にこの台詞がしっくり来る作品だったのではないかと思う。