食事と命と所詮他人

トマホークを持って街中を練り歩き、カップルのド頭を片っ端からぶち割りたい本日、一人楽しく映画を見てきた。
前々から見ようと思っていた映画だったのだが、何しろ予定が会わない上、上映館数が少ない為先延ばしにしていた映画だったのだが、恐らく今週末を乗り切れないだろうと思い、コレを期に見てきた。
いのちの食べ方と言うドキュメンタリー映画で、製肉所やら、ニワトリ農家、果樹園etc様々な食物の加工される様を延々90min字幕一切無しで流し続けると言う映画である。
一見するとNHK教育番組のようにも見て取れるのだがそこは映画、悪趣味にもやたらと家畜をブッ殺すシーンが多いのである。残酷な部分を見せて、人々に何かしらのインパクトを与え食に対するありがたみ等を持ってもらえたら、ってな物が製作意図なのかもしれないが、人間そうは行かないだろう。
と、言うよりもこの映画を見て、もう吉牛食わないだとか、食事を大切にだとか思ったり何かするのであれば、それこそ下等なエゴである。
 こんな映画を見せられなくとも食事って物は大事なものには他ならない。それどころか、この映画はどちらかと言えばこのロケをやりたかった悪趣味な理由と社会化見学のような素朴な疑問が肥大化したもので作られたのではないかと見ていて思った。
 まぁ、どのような理由であれ作品を見て何かしらの危機感なり感情を抱いたらドキュメンタリー映画としては成功なのだ。
今年の上半期に見たダーウィンの悪夢と言う映画もドキュメンタリー映画で、その作品では一業者が、食用の肉食魚を放流してしまったが為に、周辺の魚を食い荒らしそれに付随する商業、周辺地域が滅茶苦茶になってしまうと言う映画だった。
その映画でも見た当時は何かしらの感情を抱いた物だが、時が経つにつれその感情は薄れ、結局頭の片隅に残る程度となってしまう。正直他人事なのだ。
 無論、中には多大なる影響を受けてその筋で大きな活躍をする人間も出てくるかもしれないが、大半の人間が記憶の片隅に置いておく程度なのだろう。
イチイチそれら全ての事に手を伸ばし続けることが出来る人間がどれほどいると言うのか?
それら感じ方の大小は人それぞれ、ただドキュメンタリー映画はあったことをありのまま伝える作品なのである。
 因みに映画的には退屈な作品には違いないけど、ダーウィンの悪夢よりはだいぶ見れる作品でした。
コレで今年見る映画は終いだろうか?