笑いの神

創刊してだいぶ経つジャンプSQであるが、中々好調な様で何よりである。
当然ながら自分もジャンプ読者なわけで、買わなくなってしまったものの、毎週立ち読みは欠かさず行っている。
ジャンプSQもまた叱り。
だがSQ上で毎回欠かさず俺が読んでいるのはほんの1作品のみ。
それがPARマンと情熱的な日々、藤子不二雄Aの作品である。
 漫画と言うよりもエッセイに近い作品で、挿絵と文章により構成される自伝的作品だ。
バーンとか、ジャーンなんて文章を入れるところが実に藤子らしい。
ブラックユーモアもなく、藤子の日常が描かれるノンフィクション作品で、ある意味現代のまんが道と言えるのかもしれない。
 そんな作品内で先日かかれた話が赤塚不二男の話である。
正直あの出来事が起きたときはいずれ描かれるんだろうなと思っていた。
それから、約2ヶ月ほど経った11月頃のSQ上にて描かれる運びとなったのである。
 内容としては、赤塚不二男はトキワ壮当時少女漫画を書いていて、それが非常に辛かった事。
そして少女漫画を捨て本当に描きたかったギャグ漫画を書いた後の成功、晩年は今後の発展の為後継者を育てて行った事などが描かれていた。
俺自身心血注ぐほどの赤塚漫画のファンではなかったのだが、コミックボンボンに連載された作品は毎回欠かさず読んでいたし、おそ松くんやバカボン、モーレツア太郎のアニメも毎週欠かさず観ていた。
小さい頃は大変お世話になった作家である。
今でも部屋においてあったら読んでもいいかな?と思える漫画だろう。
才能を見出し、芸能界に入れてもらえたタモリも非常に尊敬していてあの白紙の言葉は実に巣晴らしモノだった。
彼の人間のデカさを感じさせるものであったと思う。
 ココ最近本当に遠いけど近いお世話になった人々があっちの世界に逝ってしまう。
藤子ですら先は長くないだろうなんてことをあっさり語るし、志村けん北野武宮本茂や年齢的に言えば伊集院光だって俺よりも先に逝ってしまうのだ。
人間いつかは死ぬのは当然なのだが、世話になった人々が言ってしまうのは流石にシンドイ。
出来る限り皆元気でやろうやと思わずにはいられない。
これから寒い冬である皆様体調にはくれぐれも気をつけてお過ごしください。ジャーン!!